「教育・人事」カテゴリーアーカイブ

人を仮道するを好まずば、下、畏恐して親しまず

およそ聴は、威厳猛厲(もうれい)にして人を仮道するを好まずば、下、畏恐して親しまず、周閉して竭(つく)さず。
人を仮道するを好んで、凝止するところなくば、姦言並至し、嘗試し説蜂起す。

荀子 王制篇

進言を聴くのに、威厳を見せつけるだけで、下級者を寛容な態度で導くことがなければ、下級者は畏縮して、口を閉ざしてしまう。
反対に、寛容過ぎると、質の悪い建言や無責任な意見ばかりが集まってくる。


鏡の法則

厳しいだけの上司は敬遠され、優しいだけでは舐められる。
今も昔も人の上に立つ難しさは同じらしい。

聖徳太子が定めた十七条憲法の第一条「和を以て貴しとなす」は、最近の管理職に好まれる格言だが、この言葉は「争うのではなく調和や協調を重んじる」という意味で、他人の意見に耳を傾ける姿勢を説いているのだが、上司の多くは部下との良好な関係を望んでいるらしい。

自分の心境や気持ちが相手に投影されるという「鏡の法則」は、販売業のマニュアルでは定番だが、販売員の心境で客の態度が変化するのは事実。
同じような実験で、赤ちゃんの前で母親が笑顔を見せると、赤ちゃんも笑顔になり、しかめ面をすると赤ちゃんもしかめ面になる。
人間は集団生活する生き物なので、心境によるわずかな表情などから、本能的に相手との間合いがとれるのだろう。
人は動物の中でも唯一、楽しくないときでも笑顔を作れる生き物で、敵対心が無いことを笑顔で表すことで、円滑なコミュニケーションを図ることができる。

上司と部下であれば、販売員と客と同様、初めは部下が上司に対して警戒心を抱いているのは当たり前。
それは鏡の法則で上司に伝わってくるが、そこで上司が部下を見下したり、迷いや苦手意識を持って接してしまうと、部下との距離は縮まらない。
ただし、距離が近いと言っても、厳しさのない馴れ合いは仕事に大きな支障が出てしまう。

現在の姿を見て接すれば人は現在のままだろう。
あるべき姿を見て接すれば人はあるべき姿に成長していくだろう。
と言ったのはゲーテ。

役職や入社が早いから上司というわけではなく、総合的な能力で部下よりも上でないといけない、と昔の上司に言われたことがある。

部下を育てるとか、おこがましいことを考えず、部下とともに自身も成長しつつ、信頼関係を築いていくことが大切なのかも。

青は、藍より取りて、藍より青し

青は、これを藍より取りて、しかも藍より青し。
冰は、水これを為して、しかも水より寒し。

荀子 勧学篇

青い色は藍草で染めるが、藍よりも青い。
氷は水からできるが、水よりも冷たい。

能力と教育

「出藍の誉れ」はこの一節からきているが、荀子は「鳶が鷹を生む」という意味で使ったのではなく、教化することで天性が変わることを説いている。
その一方で、荀子は能力に応じた適材適所を説く実力主義者であり、現実主義者でもある。

教育が難しいことは今も昔も変わりはない。
同じことを同じように教えても、理解度には個人差があり、その後の成長にも違いがある。
植物の種と同じで、同じ場所に蒔き、同じように水を与えても、すくすくと育つ種もあれば、そうでないのもある。
結局、教育は切っ掛けを与えるに過ぎず、その切っ掛けから成長するしないは、個人の能力次第というところが大きい。

昨今は人手不足もあって新人がやたらと過保護にされている気がしないでもない。
毎年4月~5月になると「やる気のない新人に仕事をしてもらう方法」みたいな本や記事を目にするが、「勉強しない子供にやる気を起こさせる」とは訳が違う。
仕事は義務教育ではないので、やる気が無いのであれば早々に消えてもらう方が、会社にとっても本人にとってもメリットが大きい。

ただ、本人にやる気があっても、物覚えが悪かったり、要領が悪かったり、同じミスを繰り返すなどは、教育者が云々ではなく、能力的な問題だったりするので、そのあたりは会社として対応を考える必要がある。

新人のモチベーションを上げるとか、うまく打ち解け合うとか、そんなことを気にしてたら教育などできないし、モチベーションを上げたり、うまく立ち回ったりするのは、処世術の基本として新人が最初に身につけるべきもので、教えてもらうものでもない。

荀子には教化の術は記されておらず、教化の末に有能であれば抜擢し、無能であれば追放し、根っからの悪人は強化しても無駄だから処刑しろと記してある。
どうやら教化することで天性は変わるかもしれないが、変わるか否かは本人次第ということらしい。